地下鉄銀座線「外苑前」駅の近くにある明治神宮外苑
(そもそも駅名自体が明治神宮外苑にちなむ)。その中心施設は聖徳記念絵画館だ。
明治天皇のご生涯を描いた日本画・洋画
(縦3㍍、横2.5㍍の巨大さ)合計80点を収める。どれも当代一流の画家の手になるもので、
史実に基づいて描かれている。同館の創建は大正15年(1926)だった。
ここに展示されている絵画の1枚に、「広島予備病院行啓」
と題した作品がある(画家は石井柏亭〔はくてい〕、
奉納者は日本医学会・日本医師会)。明治28年(1895)に、明治天皇の皇后だった昭憲皇太后が広島陸軍予備病院に
わざわざお出ましになった時のご様子を描いている。
明治神宮外苑が編集・発行した図録
『明治神宮 聖徳記念絵画館壁面』(平成4年刊行)には、
以下のように解説している。「日清戦争が始まってから、皇后(昭憲皇太后)は、
常に出征軍人のことをご心配になり、義手義足をたまわったり
されました。
また、明治28年3月17日、東京をご出発、1週間にわたり
広島陸軍予備病院、呉海軍病院を慰問されました」と。この絵を見ると、昭憲皇太后の後ろに女官(にょかん)で
権典侍(ごんのてんじ)だった園祥子(その・さちこ)と同じく
千種任子(ちぐさ・ことこ)の姿が描かれている。
この2人は明治天皇の側室だった。園は男子2人・女子6人の合計8人の親王・内親王を
生んでおられた。
千種は内親王2人を生んでおられた。
こういう絵画を見ると、現代人の一般的な感覚とは異なり、
側室という存在が必ずしも“日陰”の存在ではなかったことが
分かるだろう。【高森明勅公式サイト】
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